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  1. 気になるあの人と週末カフェ - vol.002 山内佑利子

気になるあの人と週末カフェ - vol.002 山内佑利子

気になるあの人と週末カフェ
  • 沖縄の気になる“あのひと”と。
    カフェで気ままにおしゃべりを楽しみながら過ごす週末をお届けする「週末カフェ」。
  • Vol.02
  • フリーアナウンサー
    山内佑利子
    Yuriko Yamauchi
  •  
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山内佑利子

那覇市久茂地のカフェ&ダイニング「Mateki」が今回のStage。

久茂地RBCビル1階にあるカフェ&ダイニングMATEKI。中へ入ると、国道沿いという喧騒から離れ、まるでパリのカフェへ来たような雰囲気で過ごせる人気のお店です。
本日のゲストはQABテレビニュースのアナウンサー(土曜・日曜担当)を務める山内佑利子さん。テレビを始め、ラジオやナレーション・司会でも大活躍です。
今日は、大好きという YOKANGのワンピースにVIVACEのペーパージュエリーをあわせた華やかな大人のスタイルで登場。
ほんのりとオフな表情も見せてくれた佑利子さんとともに、おしゃべりタイムのはじまりはじまり。

沖縄に移住して、2017年2月で6年目を迎えます。

沖縄には車一台でポンって来ました。
「一大決心じゃなかった?」ってよく聞かれますが、何の気負いもなく、自然な形で。どこに住んでいても生きていられたらいいな、っていうのが前提にあって。どこで生きていても同じ地球だし、同じ太陽の恵みを浴びている。どこに居ても、自分という存在は一緒だな‥って。ただ・・海外は言葉が違いすぎて、私の潜在意識では選択肢になかったみたい(笑)。

沖縄の言葉はというと、まだまだですね。知らない言葉が多く、方言を聞いても、意味を理解できないこともしばしば。「○○しましょうね~」とか「だからよ~」とかは普通につかっていますよ(笑)。こちらに来てすぐに「ちゃーがんじゅー」のお仕事で読谷にいったんです。ちゃーがんじゅーってなんだろ~って考えながら現地に向かいました(笑)。読谷に着いたら、名前が「山内」なので、「読谷の人ね?」って聞かれました。多いんですね、読谷に山内さん。でも名前はありがたかったですよ。遡れば、ご先祖様がこっちにいたかもしれない。そう思うだけでロマンもあるし、ご先祖様に感謝したくなります。

高3のときが人生のピークだったかもしれない(笑)

これまでの経歴を訊かれることが多いので、今日は今のお仕事に至るまでを、ざっとお話しますね。
まずね、中学・高校・大学とずっと放送部に所属していたんです。学生時代の経験が、今のお仕事をする上での原点となっています。中・高時代は、神戸の女子校、松蔭中学・高等学校へ通っていました。放送部としては名高くスパルタで(笑)学校行事の放送活動以外にも、アナウンスや朗読の練習の日々。そして何より「報道制作」を重んじるクラブだったので、ラジオ番組を作ったりテレビ番組を作ったりもしていました。合宿場所も普通じゃない。あるときは特別養護老人ホームに寝泊まりして取材したり、あるときは無人島で合宿したり(笑)高校生の自分たちが何を感じて、何を伝えたいのか・・、制作した番組は、年に何度か行われる放送コンクールに出品していました。

そんな中、忘れられない想い出があるんです。話すほうに関しては、高校3年生の時、夏の甲子園である全国高校野球選手権大会の開会式で、高校生初代として司会を務めさせていただきました。「ただ今から、第79回~中略~開会式を行ないます。~中略~選手宣誓を行います…」という、アナウンスです。今でこそ高校生が司会を務めるのが当たり前になっていますが、実は、私たちの代からの試みでした。そこで誰が務めるのか、となって、放送部の大会では一番大きな大会であるNHK杯全国高校放送コンクールで、夏の甲子園は、兵庫県大会で優勝した人がアナウンスをすることが発表されました。コンクール前にそのことを知って、私、高校野球大好きだったので、絶対優勝するしかない!と(笑) 。私の家は文科系だし、野球をする兄弟が居るわけでもないし、今こそ憧れの甲子園に行けるチャンスがきた!甲子園でアナウンスするのは自分だ!と、ヒラメイテね(笑)。で、強運のおかげさまで優勝することができて、夢舞台で司会を務めさせていただいたのですが、ありがたいことに、初代ということで、当時は新聞や雑誌など多くのメディアが取り上げてくださいました。今でも元高校球児によるマスターズ甲子園という大会で、毎年アナウンスを担当していて、私にとっては初心を思い出す場所になっています。

また、制作するほうでは、同じく高校3年生の時に、阪神淡路大震災の仮設住宅を取材したラジオドキュメンタリー番組が、NHK杯高校放送コンクールの全国大会で優勝し、文部大臣賞もいただきました。表彰式は、これまた憧れの東京渋谷にあるNHKホール!高3のときが人生のピークだったかもしれない(笑)。ただね、優勝した事実以上に、地域の問題を高校生の視点で番組にし、それを全国の人たちが聞いてくれたことが素直に嬉しかったんです。高3の、この二つの大舞台を通して、伝えることの感動と責任を知りました。もっと放送の道を究めたいなという思いがあって、大学へ進学しました。授業では地域社会学やメディア論、地域福祉などを学び、放送部では発声練習や滑舌練習、ニュース読みなどを毎日修練して、その一方で、在学中からテレビ局でリポーターをしたりラジオのお仕事もさせていただきました。机上で学び→部活動で訓練→仕事場で実践。の繰り返しだったと記憶しています。あっという間に大学時代が終わっちゃった・・・となるはずでした。

  • 店内の様子
  • 山内佑利子さん

人生のピークから早くも転落(笑)

ここまで聞いていると、自分で言うのもなんですが、エリートコースみたいでしょ(笑)?
ふっふっふ(笑)・・・ところが、そう人生は甘くありません(笑)
実際、就職活動では、大本命だった地元のテレビ局を受けて合格したんです。念願の報道部所属でアナウンサーとしての内定です。お仕事をしていた局ではなかったので、コネもなく(笑)生意気にも自力で勝ち取った気分でした。研修も受けて。ただ・・・これがですね、卒業2週間前だったでしょうか、1単位不足していることが判明。そう、留年してしまったんですよ、私。教師をしていた厳しい父親から、留年だけはするなと口酸っぱく言われ続けていたのに、期待通りに(笑)留年。心の整理が出来ず、真実を告白するのに1週間かかりました。アナウンサーの内定をいただいておきながらの留年に、周囲の反応ったら、それはもう・・(笑)恥ずかしさと情けなさと、人生のピークから早くも転落しました(笑)。今から思うと、この苦い経験が、いい経験になっているのですが、当時は、友人の就職先での話を耳にするたびに、自分は・・と比べてしまって、“もうこの仕事イヤだ、もうテレビも見たくない”ってなっちゃいました。

そんなときに、地元のケーブルテレビ局と巡り合いました。テレビ恐怖症となった私が、そこの番組だけは素直に楽しめたんです。あ、ここだって、ヒラメキが来て、オーディションを受けて、卒業後はその番組に携わることになりました。地元のことを取り上げながら話すお仕事。地域に密接して地域のことを伝えていけるところがいいなと思いました。でも、自分には何かが足りないなと常に感じていて、もっといろいろ究めたいなぁと思ったんです。 タレント事務所などに所属せず「フリー」で活動していましたが、フリーだと仕事も限られてきますし、業界ではヒヨッコで人脈もないし。それに、同級生の多くは会社で働いたり、組織を学んだりもするわけで、その時はそういうことも経験しないといけないような気がしていて。そういうときに、某一部上場企業の会社から社員にならないかと声をかけていただいたんですね。出演者である前に「社会人」も経験してみたかったし、「よし、ここだ!」と思って次は就職しました。その会社は、情報メディア事業・印刷事業・出版事業・IT事業・人材育成、求人事業・葬祭事業からゴルフ場関連事業など多岐に渡る事業を抱えていて、いろんな分野を学べるなと。私はメディア部門に属して、主に番組制作や広告媒体について、イチから、いえ、ゼロから学びました。

「あ、次の舞台にいくな、私!」みたいな(笑)。だいたい直感で生きてきてます!

就職してAD業から制作進行業、官公庁の番組なども作りました。
裏方の仕事と並行して、ここでは企業所属タレントとして活動し、表の仕事は一通りさせていただきました。種類としては、テレビの仕事からナレーション、声優、司会業、イメージレディ。局アナ的な位置づけなので、会社が携わる様々な仕事の表分野に従事しました。表に出て、裏方の仕事もして、更に会社員という組織の一員でもあるので、そういった業務も遂行するわけで。もうほんとに修行をしたという感じです。鍛えられました。例えば、ロケでは大阪から福井県まで半日かけて、自分で!車を運転して取材して原稿書いて、帰社したら法令順守とはなんぞや経費削減とはなんぞやみたいな会議をして、翌日39℃の熱があってもテレビの収録。ナレーションは、タウンページほどの厚さのある!企業のVP原稿を、終日ひたすら録音し続けたことも(笑)。疲労から声が全く出なくなったときは怖かったです。あら、私ドMみたいになってません(笑)?どちらかというとSなんですけど(笑)。

ところが7年目、30歳を過ぎて“この職場でイヤなことが何一つなくなった”んです。ここで学ばせていただけることは、精一杯学ばせていただいた。ある程度の利益貢献を果たした自負も生まれました。もちろん人間関係もいろいろあったりで、辛い時期もありました。そういうイヤなことが一切なくなって、クリアしたというか。依存心から解放されたというか、感謝できるようになったんです。そうなったら「あ、次の舞台にいくな、私!」みたいな(笑)。だいたい直感で生きてきています!やっぱり何か挑戦したいんでしょうね。チャレンジしていくことが人生の楽しさというか。ね、その方が楽しいので。何かがイヤで逃げたときって、次の場所でも同じテーマがついてまわると思うんですよ。イヤでやめるのではなく、ハッピーで辞めたいと思うし。まさにその時期が来たなと。次が来るな~どこかな~降りてきて~って感じで(笑)。そうして待っている間にも選択肢として東京の事務所などもありましたが、行ってもなんだかピンとこなくて。そう、ひらめかなくて!ここは違うなぁって。そう思っていたときにです!大阪でナレーターをしている私の大親友から「ウチの事務所って、沖縄事務所を立ち上げて5年になるの」という話を聞きました。「え?!沖縄!!!キターーーー!」って感じ。「降りてきたー!私、次は沖縄だ!」みたいな感じで(笑)。その感覚は間違いないんですよ。ハッと神様が降りてくるときのような感覚って間違いないなくて。沖縄行こ~って。神様が降りてくるとか、こんな話して、大丈夫ですかね(笑)?

  • 話をする佑利子さん
  • 店内の様子

ひらめきです!ひらめきだけで沖縄に来ました。

いえ、知り合い、いなかったです。おそれ多くも、それまで来たことなかったんです。
大親友に紹介してもらった、現在所属している事務所の社長から「行ったことなかったら一度行ってみたらいいんじゃない」って言ってもらって。気候や風土が合うかどうかとかもあるしって。私は2月に移住したのですが、その前の夏に初めて沖縄に来て、「あぁ、私は今度ここに住むんだな」って思いました。いいイメージも悪いイメージもなかったです。もっとフラットな感じ。斎場御嶽や首里城へ行ってご挨拶して。ご縁があるかもしれないので、宜しくお願いいたしますと。

ほんとにありがたいことに、移住してよかったなと思っています。何といっても、人に恵まれて、環境に恵まれて。これまで培ってきたというとおこがましいですが、そういう下積み時代が全て役に立っています。人生に無駄は何一つないですね。沖縄での仕事は、移住後1カ月後くらいに、RBC琉球放送さんから契約アナウンサーの依頼をいただきました。ちょうど女性アナウンサーさんの退社が続き、女性アナが不在ということで、私のことは事務所のホームーページで見てくださったみたいでした。ありがたいですよね。ただね、沖縄を知らないじゃないですか、来たばっかりで。言葉も文化もわからない。だから、折角お話いただいて嬉しいですけど私じゃないんじゃないかと心が揺れました。我が物顔で何も知らない人がニュースを読むっていうのはどうかな~って。でもその心をわかってくださったのもあって、事務所への義理もありますし、1年間だけ、次の女性アナウンサーが決まるまでの間だけ「何でも一生懸命させていただきます」と、1年間RBCさんでお世話になりました。四季を通して沖縄のメディアを学べた大きい一年でした。そんなRBCさんには今でも本当に感謝しています。

仕事は「適材適所」。それがハッピーです。

で、事務所に籍を戻しまして、お仕事をしつつ、事務所では講師もしていまして、ナレーションなど出演全般を教えています。
沖縄ではナレーションという地位がまだまだ確立されていなくて、若手の育成を図りたいという目標の下に事務所が立ち上がった経緯もあるので、微力ながらお手伝いさせていただいています。私自身、学生時代から本当に多くのアナウンサーや諸先輩方に教えていただいて“今”があります。受け取ったものを今度は次世代へ繋げていくことは重要で、楽しいですよ。もちろん私の手の内を明かすことになるので(笑)私が現役である以上、ライバルを育てることになるのですが・・(笑)そのためにも私自身が成長し続けなければならないことが、逆に凛とさせられて、モチベーション維持に助かっています。
仕事は「適材適所」だと思っています。適している人が適していることをする。それがハッピーだと思っています。職種柄、狭き門な部分もありオーディションなどもあります。私が落ちて他の方が採用されたときは、その方が適材だったから。だから全力で応援します。逆に私が適材と判断していただいたものには、遠慮なく全力で臨みます。

おかげさまで、現在は、QAB琉球朝日放送で、ニュースアナウンサーを務めさせていただいたり、司会業や、ナレーションも店内アナウンスですとかCMなどさせていただいていています。分野によってアプローチというかモチベーションを変えているんです。私は「山内佑利子」の名前が出ないナレーションに関してはSNSなどではあまり告知をしません。絵で例えるなら、額縁のような存在だと思うんです。目立たないように中身を伝えるというか、私の声だと気づかなかったって言われるのが、しめしめ、と(笑)。もちろん、気づいていただけるのも、それはそれで嬉しいんですけどね(笑)貪欲ですみません(笑)。

  • カフェでくつろぐ佑利子さん
  • ワインセラー

お仕事をしているうちに、その魅力に惹かれて。それが趣味につながっています。

はまってること、何かなぁ。私、『花火鑑賞士』っていう資格を持っています。
もともと花火が好きで、秋田の大曲で大きな花火大会があるのですが、そこに資格を取りに行きました。“花火がどれだけ素晴らしいかということを人に伝えていいよ”っていう趣味の資格なんですけど。そういうのを取ってみたり・・・、ウイスキーが好きでウイスキー検定も2級を取得しました。知識系の資格です。RBCiラジオの番組で、平日18時から「沖縄サントリーPresentsアペリティフストーリー」というお酒の番組のパーソナリティをしていて、お酒にまつわるお話や、新商品の紹介、おすすめのお店を紹介しています。この番組では、取材から原稿書き、録音編集まで一貫して担当させていただいています。のめり込みますね。ウイスキーを紹介してくうちにその魅力にどんどん惹かれていって、「よし、検定とろう!」となっちゃいました(笑)ウイスキーは歴史もおもしろいんですよ。奥が深くて。あっ この3月で、私が担当してちょうど1000回を迎えます!単発番組の楽しさもありますが、1000回も携われる番組に出あえたことは宝です。
お仕事をしているうちに、その魅力に惹かれて、もっと知りたくなって趣味につながっています。関西にいたころは日本舞踊や茶道もしていましたよ。

ようやく琉球で暮らしている実感が湧いてきました。

今年一年を漢字一字で表すと何になります?私ね、毎年の年末に考えるんですよ、象徴的な一文字を。
今年どんな一年だったかなって。沖縄に来たときは挑戦の「挑」、身体を壊して入院手術したときは向きあうの「向」。友達のありがたさをすごく感じた年は「友」。でも20代のころって忙しいの「忙」とか、追われるの「追」のようなものが多かった気がします。今から思うとなんで?って思います。20代で何を追われてたん?って(笑)。近年は、またちょっと変わってきましたね。30代後半に来て、ハッピーなものが出てきます。移住して6年目を迎えるにあたってようやく出てきたのが、琉球の「琉」。ようやく琉球で暮らしている実感が湧いてきたというか、ここで暮らしていますって言ってもいいじゃないかと思えるようになりました。お友だちもかなり増えましたし、こうやって琉球の人たちにお仕事を依頼していただける機会が増えて、本当に嬉しくてありがたくて。結婚披露宴の司会では、私を指名してくださる方は内地の方が多いのですが、今年は宮古島と伊江島出身のカップルが、私がいいとご指名くださったんです!移住して5年目でやっとというか、初めてそういう風に知人でない方で、テレビでの印象から声をかけていただいたのがすごく嬉しかった!私の沖縄生活の歴史の1ページに刻まれた瞬間です(笑)。今年は、初めて宮古島や石垣島に、お仕事で行くことができましたし。プライベートでは戦跡をまわったり、琉球・沖縄の歴史を考える機会があったり、また最近では2ヵ月だけですが、QABの報道番組のキャスターをピンチヒッターとして務めさせていただいたことも大きいですね。私にとって「琉」という字が真っ先に頭に浮かびました。とはいえ、まだ5年。10年後とかにも、ようやく「琉」だ!って同じこと言ってそう(笑)。

漢字一文字は、あくまでも年末に出します。年始に、新年の目標のようには決めません。もちろん明確な目標や計画は大切です。実際、新年にその年の夢リストを「40項目」手帳に書きますし、私が講師を務める授業では後輩たちにも書かせています。ただ、私の場合、矛盾するようですが、テーマを「ひとつ」に決めてしまうと、それがプレッシャーになったり、言葉に縛られてしまったりと、ハッピーじゃなくなるんです。そんな義務感でやっていることって、きっと周りもハッピーじゃなくなると私は思っています。いかに自然体で暮らせるか、自然体でいけるかが大きなキーワードですね。
漢字一文字は、いつも大晦日に習字で書きますよ。お家で書くときもあるし、会社で書くときもあるし。20代の忙しかった時代は習字では書いていないです、“忙しい”から!(笑)

  • カフェでくつろぐ佑利子さん
  • ワインセラー

逆らわず、流されず、自分らしく。

『自分らしさ』ということでは、好きなものをはっきり「好き」と言えること。
幸せなときに「幸せ」と言える事、もちろん辛いときや悲しいとき、怒っているときも、それが言えること。私は今こうなんです、といえること。躊躇なく表現できることかなと思います。どうしてもこのお仕事をすると、どこかで作る場面も出てきます。なんていうのかな、辛いこと、嫌な人に出あっても「みなさ~ん、こんにちは~!」って明るく発する瞬間もあります。でもね、わりと私は気持ちを引っ張らずにできるタイプなんですよ。気持ちを次に切り替えるっていうのかな、その瞬間を瞬間を生きるという感覚です。
ハッピーになるために産まれてきていますよね。みんなが、それぞれが自分らしくいられたらいい。そうである社会を創っていくために働きたい。座右の銘というか、好きな言葉は「不逆不流」です。逆らわず、流されず。これは歌舞伎役者の十五代目・片岡仁左衛門さんのお言葉で、それをちょっと拝借しているのですが、大切にしている言葉です。逆らわず、流されず、自分らしく。そして毎日家を出るときと帰ったときには、必ず「感謝感謝」と声に出しています。どんなことにも、ありがたいって思って感謝していたら道は開けますね。

ここね、おいしいですよ。野菜もね、オーガニックで。局の下ってこともあって、ランチによく来ます。お肉でパワーつけて、でもサラダでヘルシーに。今日オーダーした「熟成肉のローストビーフ&サラダ」はよく食べています。スープ、パン、デザート、ドリンクもついていてお得なんです。お茶するだけでもおすすめ!ここのケーキはどれもおいしくて。シフォンケーキもふわふわでおいしい。こっちも食べてみて。どう?

  • ランチタイムの佑利子さん
  • カフェのカウンター席イメージ

おすすめのランチをご一緒に。ハッピー体質なんです~、と話す佑利子さんはパッと花が咲いたように明るくにこやか。オフでリラックスしている彼女の姿を垣間見ることができて、ハッピー♪
お話が楽しくて、時間を忘れるほど会話に花が咲きました。
~気になるあの人とのおしゃべり。いかがでしたか。次回の週末カフェもお楽しみに。~

RBC前で出勤前のワンショット
フリーアナウンサー
山内佑利子
プロフィール
兵庫県芦屋市出身。那覇市在住。関西学院大学社会学部卒業。
高校3年時にNHK杯コンクールにてラジオ番組制作部門最優秀賞・文部大臣賞を受賞。
第79回夏の高校野球大会で“初代”高校生司会者を経験。学生時代からテレビやラジオでタレントとして活動。
一方、社会人になってからは大手一部上場企業で正社員として勤務。メディア企画部門に所属し、タレントとして表舞台の仕事から、番組制作、広告代理店業、庶務など裏方の仕事にも従事。関西を中心に活躍後、2012年に沖縄に移住。移住後、RBC琉球放送で契約アナウンサーを勤める。現在は「声のプロダクション・キャラ沖縄」に所属し、各種CM・VP等のナレーション、テレビ・ラジオ出演、司会、講師など、沖縄県内を中心に活躍中。
企業人経験、制作人経験で培った現場での気配りや仕事ぶりは好評で、一人何役も務め上げる才色兼備。品と明るさをあわせ持つ、好感度フリーアナウンサー。愛称は「やまゆり」。

【現在のレギュラー番組】

  • RBCiラジオ「沖縄サントリーpresents アペリティフストーリー」(平日18:00~)
  • 琉球朝日放送 QABテレビニュースアナウンサー(土曜・日曜)
  • 琉球放送 RBCテレビ「BONjour」出演 土曜12:52~
  • 琉球放送 RBCテレビ「すくすくあかちゃんねる」ナレーション 土曜11:25~
  • 琉球朝日放送 QABテレビ「旬感!Qアプリ」生放送出演 月曜~水曜16:35~

訪れたカフェ

Matekiの外観
Matekiの内観

CAFE & DINING Mateki

  • カフェ
  • 那覇市

オーガニック野菜&熟成肉と選べる12種類のグラスワイン
「カフェ&ダイニングMateki」

沖縄県産の新鮮野菜をはじめ、84日間熟成させたお肉を使用した料理、そしてソムリエセレクトのバラエティーに富んだラインナップのワインが楽しめるカフェアンドダイニング「Mateki」。モーツァルトが流れる店内は、まるでパリのカフェを思わせるシックでクラシカルな雰囲気。ランチのおすすめは、今帰仁村にある有機認定の自社工場から届く、安心安全なおいしい野菜がたっぷりの「サラダランチ」。ディナーはコース料理も用意。オーガニックワインにも力を入れているので、料理との素敵なマリアージュをぜひ。ボトルのほか、グラスワインは常時12種類がチョイス可能。一期一会の味を楽しんで。
普段がんばっている自分へのご褒美に、大切な人とのお食事に。また、のんびり過ごしたいカフェタイムに、Matekiで上質なひとときを。


Lunch 11:00~15:00 (L.O.14:00)
Tea Time 15:00~18:00
Dinner 18:00~23:00(L.O.21:30)
close 日曜日
〒900-0015 沖縄県那覇市久茂地2-3-1 RBCビル1F
TEL 098-917-6039
http://www.mateki-rbc.com/
https://www.plat-okinawa.jp/shop/mateki/ ぷらっと内ページ

周辺スポット

  • パレットくもじ

    沖縄県庁向かいにある商業施設。リウボウをはじめ、ファッションや雑貨、CDショップ等あらゆるお店が揃う。

    パレットくもじ

    住所:〒904-0115 那覇市久茂地1丁目1番1号
    TEL:098-867-1171 / 営業時間:10:00~22:00 ※各店舗により異なります。

  • 福州園

    那覇市久米にある本格的な中国式庭園。那覇市と福州市の友好都市締結10周年を記念して建設された。

    砂辺海岸

    住所:〒900-0033 那覇市久米2-29-19
    入園料:大人200円、小人100円 / 営業時間:9:00~18:00

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